江戸の落穂~明治時代の蒸気ポンプ車について~

夢野晴吉先生のコラム第二十四弾  
江戸の落穂 
 明治時代の蒸気ポンプ車について~をお届けいたします

 
~明治時代の蒸気ポンプ車について~
 
 夕べ遅く、寒の内(かんのうち)の夜の静寂(しじま)を裂くような、
サイレンの音が鳴り響いて来ました。
 
 前にも書きましたが、寒の内は一年で一番火事が多いので、
いろは番附けの火消しは、この時期だけ『詰め』といって、
夜は詰め所に交代で泊まり込んで警戒しておりました。
 
 明治から大正初期には消防ポンプ車も登場したのですが、
これは馬車で走って、ポンプの動力は蒸気を利用するものでした。
 
 ですから、火事があるとまず油を染み込ませた布に火を放ち、
ボイラーに石炭を投げ入れながら全速力で辺りを走り廻って、
ポンプの蒸気を沸かしてから消火に当たったのです。
 
 ある時など、消防署の隣が火事になっても、
火元に駆けつける前に蒸気を沸かす為、
町内をグルグル走り廻っていたそうです。
 
 おまけに走り廻っている最中に、
ボイラーから火のついた石炭がこぼれ落ちるので、
「まるで火事を撒き散らしているようだった」と
馬車に乗った事がある方が私に話してくれました。
 
 それだから、でしょうか?
昔は「ポンプが来たら、すぐ外へ出て見ろ」と言われたものです。
 
 明治に入ってからも屋根は木肌葺き(きはだぶき・・・木の皮で葺いた屋根)が多く、
瓦葺きばかりでは有りませんでしたので、延焼が多かったのです。
 
 そこで飛んでくる火の粉を払う為に、
竹の棒の先に藁(わら)を付けてハタキのように使った火バタキや水鉄砲まで有りました。
 
 消火に使った水鉄砲は、50cm位の木製の水鉄砲で、
造りは子供のおもちゃと同じようなものでした。
 
 
 
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齢八十五の老爺の誕生日に綺麗なお花が届きました。
今年は何か良い事が有りそうです。