「邦楽について」(その3)

青木先生の「師匠のたまにちょいちょいひとり言」の9回目をアップさせて頂きます。
今回は「邦楽について」(その3) です。
 
 
 
「邦楽について」(その3)
 
長唄義太夫、清元、常磐津、新内など総て(すべて)が段物と云われる長編の唄です。
端唄、俗曲は短編のものばかりで宴会などでは、唄いやすいので大いに流行したものです。
 
段物の「おさらい会」などは、長いものでは一曲語るのに三十分以上もかかりますので、
落語の「素人義太夫」のような光景が現実にあったのです。
 
余りお上手でない唄を、三十分も一時間も聞かされたら、
お酒、お料理もさめてしまい、興もさめてしまいます。
 
考えても見て下さい。
ちょっと下手でも「奴さん」なら三分か五分の我慢です。
ですから昔は端唄俗曲が大いに流行いたしました。
 
本によりますと、「隆達節(りゅうたつぶし)」が元祖(元禄時代)とか。
学問的研究するのではございませんので、ここで止めます。
 
結局、端唄は大分以前からあるということですが、
他の邦楽とちがい、明治まで家元制度がなく、「睦」とか「○○連」のような集まりで、
家元制度より自由な組織だったのです。
 
そこが気楽に参加できる睦(仲良く親しみ合う)として、
多くの庶民を集める結果になり、大変盛んになりました。
 
自由奔放な端唄は、流行歌(はやりうた)や芝居、寄席で唄われた唄、
ときには地方の民謡なども、三味線の節にのせ、端唄俗曲へ編入する幅の広さがありました。
 
それに加え、三味線が嫁入り道具と考えられる時代です。
短くて手軽に覚えられる端唄は、一寸お稽古すれば、何とか唄えると思う方々が習い、
習わなくても唄えると思える人々まで、でて来るのです。
 
ところが、前にもお話いたしましたように、
段物を充分習った人たちが唄の触り(唄のよいとこ)を入れて作った唄も多数ありました。
 
洒落の一つのように作られた唄は、粋なもので、それだけに難しいのです。
 
例えば、端唄の「夕暮れ」など唄ってみますと、
粋で難しい端唄俗曲の真髄が分かってくるように思います。
 
又、端唄と芝居は切り離せぬ縁がございます。
「お伊勢参り」「夜ざくら」「吉三節分」「浜町河岸」などたくさんございます。
 
ただ、順を追って覚えたいものです。
 
端唄の曲で古いのですと、元禄時代(1704年)「松づくし」「坂はてるてる」から、
連綿と唄い継がれている唄と思いますと、短い唄ではありますが、
慈(いつく)しんで唄いつぎたいと思います。
 
      青木かくえ