江戸の落穂~番外編・のどかな昔の旅模様② ~

 
  夢野晴吉先生のコラム第十二弾
江戸の落穂 
 ~番外編・のどかな昔の旅模様 ②~をお届けいたします。
夢野晴吉先生の実体験に基づく旅模様をお楽しみください。

 
江戸の落穂~番外編・のどかな昔の旅模様 ②~ 
 
 今では数時間で行ける広島ですが、昭和十年頃は二日がかりでした。
それでも小学生だった私には、夢の連続のような旅でした。
 
 父の友人は慶応大学に通っていた時、琵琶を習っていて、父と知り合ったそうです。
 
 神田で鳶(とび)の頭であった父は、色々な道楽をその友人に教えたらしく、
余り良い友とは言えなかった思いますが、卒業してからも東京に来ると必ず会っていたので、よほど気が合ったのでしょう。
 
 
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           左 広島の友人 角倉氏                  右 夢野晴吉の父
 
 
ところで、その友人は地元の広島でも有数の資産家で、私達が招かれた別邸でも千坪以上有ったそうです。
 
 その邸宅は河口近くの汽水域(きすいいき)にあったので、庭には鯉と金魚の泳ぐ池と、
河口から汐水を入れて黒鯛を飼っている池がありました。
 
 黒鯛の池には、真ん中に小島が造られていて、岩を積んで滝が流れ落ちるようになっていました。
 
夕食時、庭にテーブルを並べ、滝のモーターとライトにスイッチを入れて、ライトにてらされて流れる滝を眺めながら食事をしました。
 
 普段の生活とはかけ離れたもので、子供心にも凄いと思いました。
戦前のお金持ちというのは、想像を絶するものが有りました。
 
 庭で食事を摂るというので、父は私に絞りの浴衣に絞りの兵児帯(へこおび)をしめさせましたが、友人から「小学生も学生だから、絞りの浴衣はまだ早いよ」と言われ、食事後に出入りの呉服屋につれて行かれて、絣(かすり)の着物と兵児帯をわざわざ作ってもらいました。
 
 父にすれば、絞りの浴衣に絞りの帯なら立派なもので、どこに出しても恥ずかしくないと思っていたと思いますが、、当時の東京と地方の感覚の差が出ていて面白いと言えます。
 
 その家で猟犬として飼われていた犬の中に、ルビーという名の大変利口なセッターがおりましたので、旅から戻って我が家の犬にもルビーと名付けました。    
 
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友人が東京に来た際のお茶屋遊びの1枚・・・芸者衆も呼んでにぎやかに
 
                                番外編 終わり