江戸の落穂 ~江戸っ子の値打ち~

 
夢野晴吉先生のコラム第二十五弾  
江戸の落穂 
 ~江戸っ子の値打ち~をお届けいたします
 
 
~江戸っ子の値打ち~
 
“芝で生まれて 神田で育ち
今じゃ 火消しの あの纏持ち”
 
 これは端唄“芝で生まれて”の一節ですが、
この唄は別名『神田節』とも呼ばれています。
 
 これは神田・日本橋・京橋あたりが江戸の中心と考えていた人が多く、この周辺で生まれた人が江戸っ子だと思っていました。
 
 本来、江戸と江戸に入らない土地とは『朱引き(しゅびき)』というもので分けられ、地図に朱色で線引きがされていました。
 
 私は以前、友人から朱引きの入っている復刻版の地図を貰った事があります。
 
 明治時代の初版でしたが、この地図には公衆電話のある場所に印がしてあって、確か上野公園の所に1~2箇所有りました。
 
 当時、公衆電話はまだ珍しかったのでしょうが、
携帯電話が当たり前の現代の人は、 さぞ驚かれる事でしょう。
 
 一番驚いたのは、本所・深川は朱引き外(しゅびきそと)、つまり、江戸ではないのです。
 
 本所・深川は平地で川が輸送路になった事から、江戸と共に発達したのですが、あくまでも下総(しもうさ)の国で、江戸っ子が通称「川向う(かわむこう)」と呼んでいた本所・深川は江戸ではなかったのです。
 
 現在は行方不明になっているこの地図、いつでも手に入ると思っていたら、一枚ものの地図でした。
 
 次に、江戸っ子という場合、どこで生まれたかによって、江戸っ子の値打ちが違ったと申します。
 
 一番幅がきいたのが、「響き内(ひびきうち)」というものです。
 
 これは江戸城内で刻(こく)を知らせる太鼓の音が聞こえる範囲に住んでるのが、江戸っ子の中の江戸っ子だと自慢していましたが、現在の皇居から見ても、余程の事が無い限り町場までは聞こえなかったと思いますが、
例え一年に一回でも聞こえれば鼻高々だったと申します。
 
 次にくるのが「擬宝珠内(ぎぼしうち)」というもので、
江戸城の外堀にかかる橋には、必ず擬宝珠(ぎぼし・・・橋の欄干の柱頭につける宝珠の飾り)が付いていたので、
「俺たちゃ、擬宝珠内で生まれたんだ てめぇ達とは違うんだ」
というのを、自慢にしていたそうです。