江戸の落穂 ~駕籠に乗るのも楽じゃない!?~

夢野晴吉先生のコラム第三十弾  
江戸の落穂 
~駕籠に乗るのも楽じゃない!?~
 
 
~駕籠に乗るのも楽じゃない!?~
 
♪♪ 箱根八里の 落ち葉を屋根に 
   乗せて三島へ 戻り籠 (雪の達磨)
 
♪♪ かこで サッサ 行くのは
   吉原通い  (深川節)
 
 こうした俗曲を聞いていると、駕籠は随分と粋な乗り物だなと思われますが、実際に乗った人に聞いてみますと、これが思いのほか大変だったようです。
 
 江戸の交通手段はほとんど人の足に頼っていましたので、足に頼らない時は駕籠や馬に頼るものでした。
 
 駕籠は『駕籠舁き(かごかき)』が二人で担ぐので、当時としてもそう安いものではありませんでした。
 
 随分昔の話になりますが、私の伯父さんが「大山参り」に行った時、同行している年輩の頭(かしら)が山駕籠に乗って、すぅーと担がれて行く姿を見て、自分も格好が良いのでやってみようと駕籠を仕立てて、大山のふもとから神社まで乗ってみたところ、駕籠がゆれるので中に下がっている綱(つな)につかまっていないと乗っていられないのだそうです。
 
 綱につかまりながら身体の重心を支える為、腕も大変疲れたそうで、更にゆれる駕籠の中で綱にぶら下がりながら中腰で行くのも大変つらかったそうです。
 
 伯父は、人が乗っている姿は格好の良いものだが、自分で乗ってみると大変疲れるものなので、二度と駕籠にはのらないよ、と言っていました。