江戸の落穂~江戸と大阪の火消しの違い①~

夢野晴吉先生のコラム第三十六弾  
江戸の落穂 
~江戸と大阪の火消しの違い①
をお届けいたします。
 
 昔は江戸と大阪のように離れていると、全く違う制度がありました。
 
 江戸では火消しが非常に大切にされていましたので、江戸中の各町内に火消しを頭「かしら」として一人置き、火掛かり(消化活動)から祭りの采配や町内の諍い(いさかい)に至るまで、諸事万端を取り仕切っておりました。
 
 火消しには「鳶」「鳶の者」のほか「仕事師」という呼び名がありましたが、これは大工などの諸方と普請主(ふしんぬし)との間で話がスムーズに行えるように町内の頭が両者の間で段取りする事から、仕事に詳しい人という意味で仕事師と言ったのでしょう。
 
 一方、大阪になりますと、火消しは別名『手伝さん(てったいさん)』と呼ばれていて、普段は建築の手伝いをする人というような意味で使われていたようです。
 
 江戸の火消しは奉行所のご支配下だったので、いろは四十八組の頭の代表が毎月一回、お奉行所のお指図を受け賜る寄り合いを持っていました。
 
 これは全国的にも珍しい特別な集団だったと言えます。 
 
 
 
 次回は江戸と大阪の火消しの違い②をお届け致します。