江戸の落穂 ~江戸と大阪の火消しの違い②~

夢野晴吉先生のコラム第三十七弾  
江戸の落穂 
~江戸と大阪の火消しの違い②~
をお届けいたします。
 
 江戸の火消しは治安にまで深く関係していましたが、これはこの時代の警察制度に不備な点が多かったからと言えます。
 
 何しろ江戸には、貧乏旗本が使う中間(ちゅうげん・・・武家の使用人)も多く、ろくに給料も貰えず、町内の商店などから恐喝しては小使い銭(こづかいせん)を作る者や、田舎では食べられずに江戸に出て来て浮浪者のようになってしまう者も多くおりました。
 
 これを取締る者としては、奉行所の与力、同心とその同心与力から十手を預かる目明しや手先という者が警察の仕事をしていたのです。
 
 目明しというものは、お上から定まった給料が払われず、使っている与力、同心が不定期に渡す金が給料のようなものだったので、中には子悪党も相当いたらしいのです。
 
 それに百万都市と呼ばれた江戸の治安を南北奉行所のわずか二十五騎の与力と百二十人の同心が守るのには限界があったのです。
 
 
 ご府内(江戸)を四十八組の火消しの組に頼む事は大きく、火消しの組で最大の『よ組』では、七百七十五人いたという記録もあるほどの一大勢力ですから、町民は火消しを頼っていたのです。
 
 こうした事から、前にも書きましたような『お店(おたな)制度』ができたのでしょう。