江戸の落穂  ~私が見た歌舞伎の名優たち~

夢野晴吉先生のコラム第四十九弾  
  江戸の落穂 
 ~私が見た歌舞伎の名優たち~

 
 
 歌舞伎の『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)』は通称『石切梶原』と呼ばれ、今でも人気の高い演目の一つですが、主人公を演じる役者によって題名が変わった事をご存じですか?
 
 私が十五代目市村羽左衛門の舞台を見た時は『名橘誉石切(なもたちばなほまれのいしきり)』と興行されました。
 
 十五代目市村羽左衛門は、すらっとしていて姿が良く、男っぷりが良い事で当時人気を博しました。今で言うところのイケメンといったところでしょうか・・・台詞(せりふ)の言い回しが独特だったのを覚えています。
 
 六代目尾上菊五郎はややふっくらしていましたが堂々とした貫禄があり、何と言っても『踊りの名人』 他の役者とはどこか違って何か特別なものを感じました。
 
 対照的に初代中村吉衛門は痩せていて、台詞回しや所作が大仰(おおぎょう)に見えました。
 
 音羽屋(六代目)は台詞回しがスッとして、いかにもいなせな江戸っ子といった風情でしたので、私の父は特に贔屓(ひいき)にしていましたが、一番盛り上がる場面では相方共に万感胸にせまる演技を見せてくれましたので、どちらが良いという事もなく、自分の好みだと思います。
 
 父は本当に歌舞伎が好きで、歯痛でどうしようもない時でも氷で冷やしながら劇場に足を運びましたし、ある時などは私が学校の試験を翌日にひかえているという時にも芝居に連れて行き、おかげで帰ってから一晩中勉強する羽目になったので文句を言うと、「なに言ってやがんだ、芝居見せてやったのに文句を言うな」と言われる始末でした。