江戸の落穂 ~うどん屋の釜~

夢野晴吉先生のコラム第十四弾
江戸の落穂 
 ~うどん屋の釜~をお届けいたします。
 
江戸の落穂 
うどん屋の釜~
 
 先日、週刊誌で「うどん屋の釜」という言葉を久しぶりに目にしました。
今では、余り使われなくなりましたが、昔はよく「あいつは本当にうどん屋の釜だよ」
と言っていました。
 
 では、どんな人が言われていたのでしょう?
 
 例を挙げて書いて見ると・・・、
「兄貴、またご馳走になっちゃって、ありがとうございます。
今日は、ちょっとよんどころない用があるので、これで失礼しますが、
今度一度、私がお連れしたい店が向島に有るのです。
女はみんな渋皮がむけて、気さくで面白いんです。
料理もうまいし、ぜひお連れしたいのですが・・・、
今日はちょっと野暮用があるので、ここで失礼します。」
と、こういう人を「うどん屋の釜」と言うのです。 
 
 うどん屋の釜はうどんを茹でる為のもので、
うどんは長く茹でると、とろけてしまうので常にお湯だけ、
つまり湯(言う)だけ、という洒落なのです。