江戸の落穂 ~神田祭に寄せて~

夢野晴吉先生のコラム第二十八弾  
江戸の落穂 
神田祭に寄せて~をお届けいたします
 
神田祭に寄せて~

 今年の5月は、神田祭の本祭(ほんまつり)です。
 
 神田祭は一年毎に本祭と陰祭(かげまつり)があります。
これは、祭りを派手にする為に江戸から明治にかけて一年おきにしたものらしいです。

 明治の頃から神田祭は5月に行われるようになりました。

 それまでは9月に行っていましたが、台風が来て祭りが出来ない時が重なったので、5月に行うようになったのです。

 江戸の三大祭といえば、祭りに『山車(だし)』を出すのが特徴です。

 山車が出るのは、神田祭山王祭・根津の権現様でした。
今はよく、根津の代わりに深川の八幡様を数えていますが、深川は江戸の朱引き外(しゅびきそと)だったので、間違いです。

 神田祭の山車は何十台も出ましたが、その中には泥棒で有名な『熊坂長範(くまさかちょうはん)』の山車もありました。
 神田祭の山車は、将軍様にお見せするために、江戸城内に入城を許されておりましたが、熊坂長範の山車だけは「からくり人形」で首と目が動いたので、将軍家を驚かせてはいけないから、という事で城内に入れてもらえなかったそうです。
 この山車は連雀町の山車で、町内の人々は城内に入れないのを悔しがって、神武天皇の立姿の山車を後日造ったという話です。

 また、神田祭の道普請(みちぶしん・・・道を整備すること)で唄われた木遣りを『ざらま』と言い、これを元にして明神下の芸者に沢木町(さわぎちょう)の頭が教えたものが、『木遣りくづし』だと言われています。

 神田祭は清元、長唄でも唄われるように華麗なお祭りだったのです。

 清元 神田祭

 ひととせを 今日ぞ祭りの当たり年
 警護、手古舞い(てこまい)、華やかに
 飾る桟敷(さじき)の毛氈(もうせん)も
 色に出にけり酒機嫌(さかきげん)
 神田囃子(かんだばやし)も勢い(きおい)よく
 きて見よかし 花の江戸
 祭りについの華麗模様(はでもよう)
 牡丹(ぼたん)
 鐶菊裏菊(かんぎくうらぎく)の
 由縁(ゆかり)も丁度(ちょうど)花づくし
 
 
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清元 神田祭”の懐かしいレコードが出て来ました。
唄っている清元志寿太夫は、
天寿を全うするまで舞台に立って美声を聞かせてくれた名人です。